あかいろモザイク

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Jリーグユニフォーム史【1992-2021】

今回はJリーグのユニフォームの歴史を振り返ってみたいと思います。今回はクラブチームのユニフォームに焦点を当てるため、日本代表は基本的に扱いません。

 

本編

⓪日本サッカーのユニフォーム前史

90年代初頭まで日本サッカーはアマチュアであったため、高校サッカー関係を除き資料があまり出回っていない。日本初の本格的なサッカークラブである読売サッカークラブ(現:東京ヴェルディ)では、YOMIURIのロゴを胴部前面に出し、80年代には背ネームを採用していたことが天皇杯決勝の動画などで確認されている。当時のJSLは固定番号制を採用していたために、背ネームの掲示が可能だった。当時読売のライバルだった日産自動車(現:横浜F・マリノス)も背ネームを採用していた。ただしJ開幕前後に背ネームは一旦廃止された。

当時アマチュアで存在感を放っていた読売クラブ日産自動車はプロ化以降も同じチームカラーを採用した。一方で古河電工(現:ジェフ千葉)は青と水色の縦縞だったがプロ化を機に黄色と緑に変更し、マツダ(現:サンフレッチェ広島)は紺と白の縦縞だったがこちらもプロ化を機に変更し、現在の紫に変更した。1994年以降に参入したクラブもプロ化を機に、目立ちやすいカラーに変更したケースが多々存在する*1

 

Jリーグ発足と開幕まで(1991~1993)

Jリーグのユニフォームが最初にお披露目されたのは1992年5月のこと。このとき初年度の参加クラブにあたる「オリジナル10」も同時に発表された。開幕からちょうど1年前のことであった。

このとき発表された10クラブのユニフォームは、Mizuno(ミズノ)が全クラブを担当するというものであった。一社独占提供による強力なマーケティング体制が敷かれ、各クラブのデザインも当時の情勢を反映した派手なデザインであった。ユニフォーム構造に関しても、シャツはダボダボで、パンツ(ショーツ)は現在のものよりかなり短い、いわば「短パン」そのものであった。一方で、Jリーグの開幕に先駆けて開催されたナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)ではMizunoではなく、各クラブがサプライヤーを選択することができた。これはMizunoがリーグ戦に限って独占供給契約を結んでいたためである。

J初期のユニフォームの特徴はサプライヤーの一社独占契約のみならず、番号とエンブレムにも他国にはない特徴があった。

一つ目は現在も続いているJリーグユニフォームの特徴として、胸番号を掲出している点である。クラブサッカーではアメリカのNASLでしかみられなかった特徴*2であった。胸番号の採用理由としては同年から代表ユニフォームで胸番号が採用された説(日本代表も同年採用)、プロ野球説(1992年当時、セパ12球団すべてで胸番号を掲出していた)などが挙げられる。胸番号の掲出はリーグの必須規定となり、以後2018年まで続いた。また開幕当初よりパンツ番号も導入している。代表チームではすでに定着していたが、海外主要リーグで定着するのは90年代半ばであり、Jリーグは世界よりやや先駆けた形となる。パンツ番号を右側に掲出する規定も、開幕当初より変わっていない*3

二つ目はエンブレム。開幕当初発表されたのはロゴデザイン(エンブレムではなく、文字主体の意匠)とクラブマスコットがクラブを表すアイコンとして使用されており、TVや新聞などの各メディアはこれらでクラブを識別していた。現在はエンブレムがクラブの意匠としてもっともポピュラーなものだが、この頃はロゴやマスコットと比べてあまり強調されておらず、エンブレムの使用状況も現在とは異なるものだった。V川崎横浜MJSL時代の流れを汲むエンブレムを使用しており、市原や浦和はJリーグ開幕に合わせて新たにエンブレムをデザインした。浦和の旧エンブレムは当時の運営法人名に由来する「MITSUBISI URAWA FC」で、特に開幕のごく初期はエンブレム一部に三菱ロゴをあしらうなど企業色の濃いものであった。一方で横浜Fや清水はクラブフラッグの一部を切り取ったような意匠をそのままエンブレムとして採用した。そしてG大阪と名古屋は、クラブマスコットをそのままエンブレムに採用した。鹿島と広島は特殊なケースで、鹿島は最初の2~3年間はクラブロゴのみを掲示しエンブレムは掲示せず。広島に関してはクラブフラッグに描かれていた3本の矢をエンブレム代わりに使用し、これは2004年まで続いた。

 

Jリーグ開幕とMizuno1社時代(1993~1996)

1993年5月にJリーグが開幕。カラフルで派手なユニフォームを身にまとった選手がピッチ上で躍動した。

開幕から4年間は先述の欧州サッカーで導入されていた「変動番号制」を導入。変動番号制の導入理由は番号で選手のポジションを把握して欲しいからとされている。ただしこれは当初から試験的な導入であり、1997年よりJSL時代で採用されていた固定番号制に戻している。

先述のように、リーグ戦ではMizuno製ユニフォームが使用された一方、カップ戦では各クラブが個別に契約したサプライヤーのユニフォームを着用し、1シーズンでそれぞれ異なるユニフォームが使用された。これは1994年以降にJリーグに参戦したジュビロ磐田柏レイソルなどにも適用された。一社提供は独占供給契約が終了する1996年まで続いており、翌1997年からはリーグ戦用とカップ戦用で同一のユニフォームが使用されるようになった。なおユニフォームの変更時期も現在とは異なり2年に1度(浦和、鹿島など)か、一度も変更しない(広島、市原など)のどちらかであった。

当時のスポンサーの掲示箇所は胸1か所、背1か所、袖1か所のみであった。開幕直後ということもあり、掲出スポンサーは大企業が占めた。また開幕年にスポンサーを掲出していなかった鹿島アントラーズ名古屋グランパスはチームロゴを掲出していた。名古屋グランパスに関しては大株主のトヨタが企業色が濃くなるとして胸スポンサーでの掲出を拒否していたが、胸部が寂しくなるとの理由でチームロゴを掲出させたといわれる(ただし、2001年よりTOYOTAロゴを掲出中)。

視認性の観点からアウェイユニフォームも導入されているが、初期のJリーグでは現在では見られない出来事もあった。ジェフ千葉(黄色)対清水エスパルス(橙色)では、両チームともホームユニフォームを着用していた。デザインにもよるが、現在では問題になる可能性のある組み合わせである。またサンフレッチェ広島(紫)がアウェイの横浜フリューゲルス(白)戦で、白のアウェイユニフォームしか持参していなかったために、サポーターから紫のホームユニフォームを借りてもらったといった珍事もあった。

ユニフォームでもう一つ忘れてはいけないのが、リーグパッチの導入である。Jリーグでは開幕前の1992年より導入している。一方で海外主要リーグではプレミアリーグUEFAチャンピオンズリーグ(いずれも同年夏に開幕)しか導入しておらず、こちらもJは海外と比べ早い部類であった。ちなみに1994年から導入されたチャンピオンパッチは、現在の金のJリーグロゴではなくヤタガラスが使用されていた。

1993年参入の「オリジナル10」の配色はクラブ毎に分かれており、鹿島はディープレッド、浦和は赤と白と黒、市原(千葉)は黄色、川崎(現東京V)は緑、横浜Mは青主体のトリコロール、横浜Fは白と青、名古屋は赤と黄、G大阪は青と黒、広島は紫であった。当時のシャツ色の被りは赤シャツを採用している浦和と名古屋のみだった。

 

サプライヤー自由化から4スポンサー制の確立へ(1997~2002)

1997年より、リーグ戦ユニフォームのサプライヤーを自由に選択することが可能になった。ただしこの年で掲出が認められていたメーカーはMizunoとadidas、PUMA、UNBROの4社のみであった。このシーズンよりヴェルディ川崎NIKE製のユニフォームの着用を開始したが、自主製作という形での契約となり、公式戦用ユニフォームでNIKEのロゴを掲出することはできなかった(ロゴ掲出の解禁は翌1998年から)。

同年からはJSL時代にも導入していた、選手の背番号を1シーズン固定させる固定番号制を復活した。これにより選手=背番号という形で覚えることができるようになった。ただし当時は連番での番号振りが求められており、永久欠番も認められていなかった。現在ではサポーターナンバーとしてほとんどのクラブが永久欠番に指定している12番にも選手が割り当てられていた*4

この時期になると世界的にショーツの丈が長くなり、Jリーグでは2002年にショーツ左下(背番号が掲出されていない方)への掲出を解禁した。以後しばらく、4か所すべてにスポンサーロゴを掲出することを「フルスポンサー」と呼ぶようになり、一種のステータスにもなった。

その他、2002年には横浜F・マリノスJリーグ初となる3rdユニフォームを投入した。黒地のシャツを採用しており、こちらもJリーグ初である。欧州ではこの時期、マンチェスター・ユナイテッドACミランを中心に3rdユニフォームの導入が活発化していたが、Jリーグでは予算上の問題から導入するクラブは少数にとどまった。

 

④シンプルデザインと背ネームの登場(2002~2006)

2002年5月に日韓W杯が開幕。高温多湿な日本と韓国の気候に対応するため、各メーカーは軽量化とシンプル化に舵を切った。この流れはJクラブにも波及し、特に海外大手メーカーでその流れが顕著に出た。それまで派手だったユニフォームは単色または少数のラインのみで表現されるようになり、それまで多色を採用していたGKユニも単色になった。

背ネームに関しては固定番号制導入以降もしばらく導入するクラブは現れず、アジアクラブ選手権(現:AFCチャンピオンズリーグ)用に限って導入しているクラブがあったが、2001年にガンバ大阪Jリーグの国内用としては初めて背ネームを採用した*5、この背ネームはしばらくG大阪のみが採用していたが2004年以降、J1強豪クラブを中心に広まった。ただしJリーグでは背上部にスポンサーロゴを掲示していたため、ほとんどのクラブは背下部に掲出しており、また「シャツイン」の時代だったため、背ネームの大きさも控えめだった。Jリーグの許可を通せば愛称(三浦知良の場合は「KAZU」、中澤佑二の場合は「BOMBER」)で掲出することも認められている。

FC東京は2008年より背ネームを導入したが、他クラブとは異なり背ネームを上部に掲出し、背スポンサーを下部に掲出していた(当時の規定は「背1か所」であり、「背上部でないといけない」という規定ではなかった)。ただし背下部スポンサーが解禁となった2017年をもって終了し、他クラブと同じ背下部の掲出となっている。

 

⑤新興メーカーの勢力拡大(2007~2011)

2000年代後半あたりから、J2を中心に新興メーカーや中小メーカーと契約するケースが増加した。大手メーカーのテンプレートにとらわれない、独特のデザインを持つクラブが増加した。また同時期には日本で広がりを見せていたフットサルの影響を受けた、グラデーションやアクセントを多用したデザインも増加した。ホームタウンの建築物や伝統模様などに由来したアクセントをユニフォームの随所に加え、地域性を前面に出しているものが多い。一方で横浜F・マリノスはそれまでのadidasからNIKEサプライヤーを変更し、三本線のないシンプルなデザインとなった。この際結ばれた契約金は8年40億円と当時のJリーグでは最高の契約金だったが、4年後にadidasと再び契約を結んでいる。2009年には横浜開港150周年を記念して青白ボーダーのユニフォームを導入しており、確認できる限りではJリーグ初の限定ユニフォームとなった。

ユニフォームの世界的トレンドとしては代表ユニの胸番号の位置変更とシャツ出しがある。胸番号に関しては、2005年までの代表ユニフォームはほとんどの場合、胸中央に掲示していた(例外としては1996年ドイツ代表)が、2006年にadidasが発表した新テンプレートは右胸への掲出が標準となった。日本代表もそれに倣う形で胸番号の位置を移動しており、横浜FMなどJリーグadidas勢も掲出位置を右胸に移した。この流れは2008年以降PUMA、NIKEなどにも波及した(例:ジュビロ磐田(2008、PUMA)、ベガルタ仙台(2009,asics))。もう1つはこの時期からシャツを出してプレーする選手が増加した。サッカーのユニフォームのシャツはマナーの観点からシャツインするのが2000年代半ばまで当たり前だったが、体内にこもった熱を逃がすという機能上の目的でシャツを出すプレイヤーが増加した。日本代表でもすぐに波及したが、Jリーグではそれを認可せず、シャツを出しているプレイヤーに対して審判が注意するといった光景もみられた。

その一方、不況の影響などでスポンサーの獲得に苦労するクラブも現れた。2008年の大分トリニータでは胸スポンサー無しのユニフォームを着用しナビスコカップを優勝した。当時の大分は地場の弱さが故にスポンサー探しに悩まされており、2006年まで胸スポンサーとして掲出だったパチンコ店大手のマルハンも規約改正で掲示できなくなった。スポンサー収入がないことにより、翌2009年の経営危機に繋がっていくこととなる。また東京ヴェルディも2008年末に当時の大株主であったサイバーエージェント*6が撤退し、一時胸スポンサーが非掲示となっていた。一部クラブでは選手やフロントの不祥事が撤退への引き金になるといったケースもあった*7

2010年代に入りJ2クラブでも背ネームを導入するクラブも出てきたが、2011年にJ1を優勝した柏レイソルは当時背ネームを導入しておらず(2015年導入)、J1クラスでも導入に慎重だったクラブもあった。胸番号の掲示箇所に関しても、adidasが2006年に右胸部に胸番号を廃した代表ユニフォームをリリースして以来、Jリーグでもメーカーにかかわらず右胸部に掲出するクラブが増加した。

その他細かい変更点としては、2009年に優勝パッチがヤタガラスから金のJリーグロゴに変更した。これはリーグ名称やパッチを変更した現在でも受け継がれている。

 

⑥期間限定・企画ユニの登場とブーム化(2012~2016)

2010年代以降活発した流れとして、期間限定ユニフォームや企画ユニフォームの増加がある。これは2000年代後半以降に日本プロ野球で流行が始まった企画ユニフォームブームに乗じたものである。

ただJリーグの企画ユニはプロ野球とは異なり、復刻ユニフォームが少ない傾向にある。プロ野球ではメーカー毎の特定のサプライヤーが提供するテンプレートが存在しないのに対し、Jリーグを含めサッカーでは、adidasの3本線に代表されるサプライヤーの意匠に沿って制作していることが多いため、その意匠を利用しないと再現性が難しいといったケースが多いためである。特に途中でサプライヤーを変更したクラブではほぼ皆無といった状況となっている。ただし2013年に20周年を記念してJリーグが製作したユニフォームでは、全クラブがMizunoから一括提供されていたことが幸いしてか、フリューゲルスを含む10クラブの初年度のユニフォームが復刻されている。

2010年代以降、欧州では主要クラブのみならず1部の中堅クラブですら3rdユニフォームを出すことが当たり前になった。しかしJリーグでは年間通じて着用する通常の3rdユニフォームを導入するケースは少なく、着用試合をあらかじめ設定した企画ないし限定のユニフォームが採用されることがほとんどだった。例外として浦和レッズは3rdユニフォームの導入に比較的積極で、2010年代では2012~2014,2017(2016アウェイ継続),2019(20182アウェイ継続)の5シーズンで導入した。

また世界的にはシャツ出し全盛となった2012年に、Jリーグでもようやくシャツ出しを容認した。ただし高校サッカーをはじめ育成年代では、現在もシャツインを指導しているチームが少なからず存在する。

 

⑦スポンサー枠の拡大と胸番号の廃止(2017~2010)

2017年から2019年にかけて、Jリーグのユニフォーム史においても変化の大きな3年間を迎えた。まずは2017年に背下部のスポンサー掲示を解禁。2010年頃まではシャツインを求めていたJリーグだったが、スポンサーロゴを下部に掲出する関係で、シャツ出しがほぼ必須となった(現在もシャツインスタイルと採る金崎夢生のように、シャツインが認められたケースもある)。2018年には鎖骨スポンサーを解禁し、鎖骨の2か所にスポンサーを掲示することが認められた。この地点で掲出箇所は7か所となり、スポンサー収入によるクラブの経営安定化を後押しする形となった。

そして2019年に、それまで掲出が義務化されていた胸番号の非掲出を容認するようになった。ユニフォームのデザインの自由度が向上し、見た目としても世界基準へ大きな一歩を踏み出した。ただし前面で選手の番号がわからなくなるとして、廃止を渋ったり、一度廃止したあとに胸番号を復活させたクラブも少数ながら存在する。また政治的な意匠の掲示も禁止され、これによりホームタウンロゴに掲示していた自治体の意匠*8自治体のマスコットキャラクター*9掲示できなくなった。

テンプレート関係でも変化がみられた。2010年代半ばまで大手3社(adidas,NIKE,PUMA)が供給するユニフォームではその年の最新テンプレートに則って製作されることがほとんどだったが、2017年頃よりJ2やJ1の中堅以下のクラブを対象に1~2年前のテンプレートを採用したユニフォームをリリースすることが多くなった。この流れは特にPUMAで加速しており、さらに透かしや細部のアクセントも使い回されるようになった結果、クラブの個性が薄れたといったケースが出ている。

 

⑧背番号フォントの統一と今後の展望(2021~)

それまでJリーグのユニフォームはクラブが用意したデザインの背番号を着用することができたが、2021年に視認性の向上を目的として背番号や背ネームのフォントを統一した。用意されたカラーは黒・白・赤・青・黄の5色で、配色制限の影響でデザインに影響が出たクラブも少なからず出た。なおプレミアリーグセリエAとは異なり、キャプテンマークは統一されない。

また同年からはパンツ後ろのどちらかにスポンサーロゴを掲示することが可能となり、これで掲出箇所は8か所となった。4スポンサー制の確立から20年が経過し、掲出箇所がちょうど倍加したことになる。掲出企業の広告効果とクラブの収益としての相乗効果を生んでいるスポンサーロゴだが、掲出枠の増加は文字だらけで見栄えが悪くなるとの懸念もある。

DAZNの参入や観客動員数の増加、各クラブの営業努力などによりJリーグの人気は再拡大しており、「戦闘服」であり「主力商品」でもあるユニフォームの注目度は向上している。そして、増えていくスポンサー枠と、統一フォントという新たな制約と潮流の中で、今後ユニフォームを同デザインしていくかがクラブのブランド価値を決定づけていくのかと思われる。

 

Jリーグ規程とJFA規程の違い(2021年現在)

現在、日本サッカーのユニフォーム規程は主催団体により異なり、JリーグなでしこリーグFリーグでは独自のユニフォーム規定を採用しているが、それ以外のリーグ(JFL地域リーグ、ユース世代)はJFAのユニフォーム規程が適用される。なでしことFリーグの規定は見つけられなかったのでここでは取り上げないが、ここではJリーグJFAのそれぞれのユニフォーム規程の違いを比較する。

一つ目は番号の取り扱い。JリーグJFAの両者で大きな差異がある。1つ目は胸番号の掲出の有無で、2つ目は使用フォントである。胸番号はJリーグの場合、2019年から採用しなくてもよいことになったが、JFLやユース世代では2019年以降も掲出の義務があり、逆にパンツへの掲出は現在も任意となっている。2つ目は使用フォントだが、2021年以降もJFLやユース世代では、JFAが定めた範囲内で独自の背番号フォントを使用することができる。その他、JFA規程のみにGKグローブに番号を配置する際の記載がある。

二つ目はスポンサーロゴについて。JFLやユース世代では現在も鎖骨とパンツ背部への掲示は認められていない。また高校サッカーでは高校サッカー選手権で掲出することが認められていない(サプライヤーロゴとその意匠は掲出可)。逆にフットサルのFリーグではJリーグに先駆けて、鎖骨へのロゴ掲示を解禁している。

 

最後に

今回はユニフォームに焦点を当てて、Jリーグの歴史を振り返りました。世界的な潮流との違いを比べ、Jリーグユニフォームの評価点と問題点を整理することができました。最後までお読みいただきありがとうございました。

 

参考資料・関連リンク

Jリーグ・ユニフォーム要項(2021年1月1日改正)

https://www.jleague.jp/docs/aboutj/regulation/2021/24.pdf

 

JFAユニフォーム規程(2020年3月改正。「登録に関する規則」→「ユニフォーム規程」から閲覧可)

www.jfa.jp

 

参考にさせていただきました

www.jleague.jp

soccer-uniform-11.blogspot.com

www.footyheadlines.com

sports.47news.jp

https://kana31.net/rivale.htm

 

過去に本ブログで取り上げたユニフォームレビュー(宣伝)

akairomosaic.hateblo.jp

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*1:一例として、1995年に加盟したセレッソ大阪はヤンマー時代は赤を採用していたが、セレッソ発足にあたってピンクに変更した。近年では鹿児島ユナイテッドJ3参入にあたってホームとアウェイのカラーを入れ替えたケースがある。

*2:1996年に開幕したMLS(メジャーリーグサッカー)も初期は胸番号を掲出していた

*3:海外のクラブや代表チームでは左側が主流。ただしラ・リーガリーグ・アンは左側に掲出している。

*4:浦和レッズサガン鳥栖は現在も非導入。ちなみにサポーターナンバーの永久欠番化はJリーグ独特の慣習である。海外ではオランダのフェイエノールトなど数えるほどしかない。

*5:横浜FCは1999年地点で既に背ネームを導入していたが、当時はJFLでJ未加盟

*6:現在はFC町田ゼルビアのメインスポンサーを務めている

*7:コンサドーレ札幌ジュビロ磐田など。経緯は各自で調べてください。

*8:川崎フロンターレ川崎市のロゴや、サンフレッチェ広島の「TOPSひろしま」など

*9:ロアッソ熊本におけるくまモンなど